ダメ人間diary

その日その時思ったことなどを備忘録のようにつらつらと書いていく予定

PG失格

 

恥の多い3年間を送ってきました。自分には、プログラマーの生活というものが、見当もつかないのです。自分は(考え方が)古い両親の元に生まれましたので、パソコンを初めて触ったのは、中学生になってからでした。

中略

自分は子供の頃から馬鹿で、よく遊び惚けていましたが、勉強を、つくづく、つまらないことだと思い、それが生きていくのに必要だった事を、二十歳すぎになってわかって、何もしてこなかった人間の蒙昧さに暗然とし、悲しい思いをしました。

かなり違う気がする。

 

 

ということで今回は会社を辞めるに至った理由というか、社会人になってからの約3年間を振り返ってます。纏まりが無くクソ長く、非常に個人的で情けない話も多々ありますがお付き合いいただけるならこのまま下へ。

 

私は某メーカー系の会社に2016年に新卒で入社しました。

学生時代、ゲームを作ってる会社に片っ端から申し込んでは片っ端から落とされて意気消沈していたところに学校の先生から「ここ受けてみたら?〇〇〇の系列だし、いいとこだと思うよ」と求人票を紹介され、受けてみたら今までの苦労がなんだったのかというくらい簡単に受かったのでそのまま入社した次第です。

入社に至るまでの経緯からして今になって思うと何故もっとよく考えなかったのかとか後悔は尽きませんが今となっては何もかもが遅いのであまり深く考えないことにします。

 

 

まず、上司にも話した中で辞めるに至った一番の理由は、もうこの仕事が何も楽しくなく、ただただつらいものでしかないということでした。もうここでやっていけませんと根を上げるほどにまでしんどいとしか思えなくなっていました。

一応自分が請け負っている仕事は業界で見てもこれから発展していくのであろうレベルの最先端のことをやっているという自覚はありました。同僚などにそれが楽しくて仕事をしているという人もいました。しかし、自分はその最先端のことが「だから何?」としか思えなくなり、どうやってもやりがいも楽しさも感じることが無く、どうしようもないほどに普段の業務が苦痛かつ茫漠たる思いでいっぱいになっていました。

とにかく、会社のデスクに座っているだけでしんどい。元々そこまで仕事に楽しさ、やりがいを求めていたわけではないものの、だからといって誰が七難八苦を求めたというのか。

と言ってもそう感じているのは自分だけであり、自分で答えが出せないのだから誰に聞いても分からないのでしょう。

そんなになるまでに至った決定的な出来事は、今年の夏の3ヶ月間の出張であるとは思うのですが、改めて思うとそのもっと前からこうなる兆候はあったような気がします。

 

入社して最初に入れられたプロジェクトは随分と巨大なプロジェクトの終盤、テストを行っていた場所でした。というか、わかる人にだけわかればいいのですがぶっちゃけあのピラミッドプロジェクトです。ハイ。

そこで何をやってるのかは分かるものの何を動かしてるのかはわからないようなものを流す作業を約1年半行っていました。プログラムの知識なんか欠片も必要とされず、ただ言われた通りの環境で用意されたものを流し、合ってるかどうかの確認を行うだけ。手順さえわかれば中学生でもできるような仕事です。どうしようもなくつまらなく、それでいて時には過密スケジュールで終電を平気でオーバーする時間まで残業をしていたこともありました。逆にすることも無く、9時に来て何もせず定時で帰るということが3ヶ月ほど続いた時期もありました。

何もせずに給料がもらえるなんてと思うかもしれませんが、あれはあれで本当につらいです。セキュリティがギチギチの部屋なので暇つぶしになるものが一切使用できず、ただただ時が流れるのを待つだけ、周りに人はいますがパソナルームみたいなものです。退屈に殺されるとはああいうのを言うんだろうと実感しました。

思えばあの時点でもう仕事がただつらいだけのものになっていたような気がします。本当に何一つやりがいを感じるようなことも無く、ただ言われたことをやるだけ、というか、言われたこと以外できないようなところでした。

 

その次に入ったのはとあるアプリ開発の現場。またテストからの参画です。今にして思うとあれが一番マシで、唯一楽しかったと言えるような仕事だったかもしれません。

前のところと比べて規模が小さい分、自分が何をやっているのかが明確であり、どこの何を動かしているのかも把握してのテストは随分と楽でした。作ったのは自分じゃないので何かあっても作った人に投げればいいという無責任感もあってのことでしたが。

リリース直前までそこでやっていて、年初には東京のほうに出張もしました。この時の出張中は忙しいことは忙しかったのですが、何故かそこまでつらいとも思うことなく仕事ができていたような気がします。最後のほうは文化祭前日のような謎の盛り上がりを見せていたようなところだったので、テンションは寧ろ高く仕事をしていました。短い付き合いだからそう思っているだけだったとも言えそうですが、その時一緒に仕事をしていた方々がこれまた自分と合うタイプの人たちで、とてもやりやすかった記憶があります。

尤も、医者の人にはそれは躁の状態になっていただけかもしれないと後々になって言われたのですが。

とにかく、このときだけはそれなりに楽しく仕事ができていたと思います。この後が一気に酷くなるので尚更美化されている可能性もありますが。

 

そんなこんなで一旦北海道に帰ってまた1か月後に呼び出された東京出張。ここで自分が決定的にここでやってくのは無理だと思わされることになります。

仕事内容はアプリ保守。たかが保守、されど保守でこれが自分にとっての地獄の始まりでした。

問題がちょこちょこ発生するのでそれを調査して何故起きたか、対応はどうなっているのかなどを報告するだけの保守としては基本的な業務がメインだったのですがこれがとにかく合わなかった。他にも色々とやっていたような記憶はあるのですがあまり具体的なことが全然思い出せず、ひたすら鬱屈としていたことがまず先に出てきます。

光明、というかそんな中に唯一垂らされた蜘蛛の糸が残業時間が多い人向けの産業医面談でした。なんだか自分が酷いことになっているという自覚はあったのでその案内が来た時、直ぐに面談希望の依頼を出しました。

そうして産業医と面談した結果。紹介状を書くから専門の医者に行ってこいと言われ、すぐにメンタルの病院に行くことになりました。そこで自分の近況とその前の状況などを話した結果が前述の躁と、今その反動で一気に落ちているというものでした。実際、何度日比谷線を止めようかとかこのままどこかに消えればとか本気で思ってたので当時は相当なものでした。

それでも出張中だし、逃げるに逃げられないような状況だったのと、その時点であと1ヵ月ほど会社に出れば終わるということで何とか最後まで仕事には出たのですが、今にして思うともう最後のほうは周りの自分を見る目も相当冷え切っていたような気がします。そりゃあ誰だって下手に弄ると一気に爆ぜる爆弾が、勝手にまだ大丈夫だからって近くに来ても扱いに困るだけだっただろうなとか今は思っています。随分と迷惑な存在だったでしょう。

この出張中の心の支えは実家にいる両親と学生時代の友人たちでした。幸い両親との仲は良いので家にいる間は安息できましたし、友人たちとあう時間もかなり自分としては落ち着く時間でした。やたら金は飛びましたがそれで気が楽になれるなら安いものです。何人かギャンブル狂がいてそれでもやたら出費が多い日もありましたが。

 

そんなこんなでなんとか地獄の夏を乗り切り、北海道に帰ってきた自分を待っていたのは今まで一番小規模のアプリ開発。正直、この時点でこれからの仕事内容を聞かされてもそうですか以上の感想は出てこなかったし、この時にはもういつ辞めようかというくらいの段階でした。

ここからはもう特に語ることも無く、ただ毎日スケジュールに沿って何も思うこともなくなんとなく仕事をしているだけです。自分のやったことでも2週間も経つと思い出せないくらいどうでもいいとかそういうレベルのものになっています。

ついでに書くと、自分の代の新人は非常に多かったのにこの辺りでようやく同期と一緒にまともに仕事をするようになっていたのですが、かなり明暗分かれているように見えました。順当に経験を積んで後輩の書いたコードをレビューする人、設計段階でクライアントとの会話に一緒に出る人。テストと保守しかやってこなくて開発が何もできない自分とはもう悲しいまでの隔たりを感じる人が多数いました。今思うとそれがまたコンプレックスになっていた気もします。多分、自分よりももっと酷いことになっている人もいたと思いますが、自分の目に映る場所で仕事をしている中では自分の不甲斐なさと出来なさはちょっと見てられないくらいだったのでやっぱり暗の中でも自分は駄目だったのでしょう。

 

12月になってまた新しいところに入り、入社してからようやくコーディングできるようなところに入れたのですが、もう完全にモチベーションが無く、逆に実装を考えるのが面倒とかそういうレベルまで落ちぶれています。同期と比べて圧倒的に遅いスタートだから尚更頑張って追い付かないといけないのにもうその気なんて微塵も無くて、ただ退職までの日々をどう過ごすとか、そんなことばっかり考えていました。

後はもう、無為な日々を消化していくだけです。

 

1月に入るといよいよ怠惰に自分に与えられただけの仕事を済ませていく日々だったのでもうこれ以上書くことは無いです。

 

学生時代はプログラミングは好きで、ただテキストにあるものをコピペしただけのようなものでも実際に動くとそれなりの感動を覚えていたような気がしたのですがどこでこうなってしまったのか。たぶん誰が悪いでもなく自分が趣味レベルに留めておけばよかった「少し」好きなことを仕事にしてしまったからとかそういうところからのような気がします。

ただ3年間の一人暮らし社会人生活それ自体は、有意義な経験になったと思います。一人の社会人として求められるであろう必要最低限のスキルは身についたし、学生時代に比べれば色々なところで慎むこともできるようになりました。つまらない人間になってしまったとも言えますが。

 

色々とまたみっともないことを、今回はかなり長く書きましたがそんな感じでもう自分は今この業界で仕事をするのがつらい、別の道を模索させてくれという旨の話をしました。流石にこの業界が嫌だは止める言葉が見つからないと上司は言い、あっさり認めてくれました。

厄介払いが出来て実は嬉しいのか、結構本気で残念がってくれたのか、気にはなりますが態々確認することでも無いですしそこまでして知ろうと思うことでもありません。

 

 

学生時代の友人からウチのとこ受けてみるかとか大変有難いお誘いが来るのですが、上に書いた通り一旦この業界を離れようと思っているのが今の自分の気持ちです。これから先、また色々あって結局ITが自分には合ってるんだと思うかもしれないけれどそれは未来の自分が決めることであり、少なくとも今は別のことをやろうと考えています。

結果的にこれが間違いだったとしても、過去から迫りくる明確な絶望に殺されるより将来に対するぼんやりとした不安に押しつぶされる方がマシだと思っての結論です。