ダメ人間diary

その日その時思ったことなどを備忘録のようにつらつらと書いていく予定

石の上に三年も座る意義とは

石の上にも三年とは、つらくても辛抱して続ければ、いつかは成し遂げられるということ。

 

引用:石の上にも三年 - 故事ことわざ辞典

 

辛抱強く耐えてみることはいいことだと思いますがその忍耐が報われるとは限りません。

会社員として仕事をしていると顕著だと思います。上司やお偉い方々は表の顔では今を耐えればいいことがあると言い、裏では都合よく使い捨てる気満々かもしれません。

そして耐えている当事者には当然それが分からないので心のどこかで「自分は都合よく利用されている」という邪念と戦い続けないといけないわけです。某居酒屋なんか「感謝こそすべて」みたいな言い分で努力や忍耐に報いる気が更々無い上に従業員を使い倒しているみたいですし。

 

私の同期で入社して2年間ひたすら努力してきた人がいます、その人は目に見える形でスキルもすごい勢いで付けていったのですがその努力に何一つ応えてもらっていないのを見ましたので今いる会社は多分使い捨てる側の会社なのでしょう。馬鹿みたいに新卒集めてたから一人一人の価値が低いのもまぁ分からなくもないですがだからってもう3年目なのに9割以上の人たちが給与は上がらないわボーナスは少なくなってるわじゃあね・・・

 

閑話休題

 

今は大体のことは調べればすぐに見つけられる時代です。というか調べなくても色々な情報が飛び込んできます。

「あの頃はとにかく目の前のことにがむしゃらだった。自分が何をやっていたのかさえも理解できていなかったのかもしれないけれど、今にして思えばいい経験だった。」

だいたいこんな内容のことをよく語るそれなりのポジションに就いている中年から年配の方もいます。昔はそれで良かったのかもしれませんがもうそんな時代じゃないんです。今のご時世でそんなふうに仕事をしていたら周囲の環境にある溢れんばかりの情報に呑まれて確実に頭がおかしくなります。

 

昔がどうだっかのか知っているわけではありませんが恐らく今の時代のほうが隣の芝生が青く見えます。自分が今やってる仕事が具体的に将来どう繋がるのかさえ見えないような状況でしたら外から入ってくる(一見)魅力的な仕事、魅力的な環境などに一層惹かれるに決まっています。それに比べて俺は・・・なんて考えた日にはメンタルへ!な状態になっても何もおかしくありません。

 

今のご時世、具体的な数字を見せてもらわないとなかなかモチベーションは上がりません。例えば「このプロジェクトでJavaのコードを1000行書く」とか「リリース後のエラー発生を5件以下に抑える」などを達成すればすれば次の査定で職位が上がり、給与もアップ。みたいに具体的にこういうことをやっていけば給与上がるぞ、みたいなことを言ってもらえないと中々頑張ろうにも頑張れないと思います。私なんかゲーム大好きなんで実際の数字でレベルアップとか示されたらかなりモチベ上がります。多分。

 

かつて石の上にも三年という言葉で表されていた「何か」は今はもう視覚化できると思っています。かつて人の目でしか行えなかったためにどこか主観的になっていた評価もITの支援があれば数値的な補佐をプラスしてより公平に行えるはずです。評価を上げるために必要な要素が足りていない人にもそれによって具体的なアドバイスが送り、あとは当人がそれを達成できるかどうかなところまでは持っていけるはずです。

6割くらい自己弁護なところではありますが今の若い人たちなんかそれくらい手厚く保護してあげないとその気になれば簡単に今いるところを棄ててしまうと思います。

現に私は棄てる気満々です。いい会社紹介してくれ。

 

結論としてそこが好きで残りたいとでも思わない限りわざわざ今の場所で耐えることはないと思います。つらくなったときに「でももう少し頑張ってみるか」となるか、「早速新しい環境に行くための情報収集だ」となるかは個人の自由であり、そのどちらかを選んだにしてもそれが良い選択だったとは限らないのが世の常ですが。

 

昔は自分が座っている石しか見えなかったから暖かくなるまで座ってみるか、となったかもしれませんが今は周りを見渡したら既に暖かくなっている石があるかもしれません。もしかしたらもう暖かい石どころか座布団が見つかるかもしれません。

 

 

 

石の上にも三年という言葉を借りて今いる環境で頑張ってみることに対し、ここまで否定的に書いた理由は今いる会社は少なくとも努力に報いてはくれないということを知ったからです。これがもっと努力に応えてくれるようなところだったら逆に肯定的に書いていたかもしれません。

そんなもんです。